2010年12月12日 星期日

中村不折:禹域出土墨寶書法源流考

禹域出土墨寶書法源流考

  • 作者:[日]中村不折
    譯者:李德範
    出版社:中華書局
  • 出版日期:2003年08月01日
  • 語言:簡體中文
中村不折(1868—1943),日本美術家兼文物收藏家。他年輕時學習油畫,曾留學法國;回日本後又從真壁雲卿學習南畫。1895年,他在中日中獲得一 冊《淳化閣法帖》,自此對收集中國書畫文物產生濃厚興趣,並陸續得到清末新疆、甘肅地方官員梁素文、何孝聰、孔憲廷等人所藏敦煌吐魯番寫本。1936年, 他以自家私宅在東京創建書道博物館。1927年3月初,他編著的《禹域出土書法墨寶源流考》在東京刊印,由西東華書房發售。由于印數較少,加之不久爆發 “九一八”日軍侵華事變,所以該書流入中國的極少。

本書對中國古代漢字書法美術作品進行介紹,結合史料與文獻,針對古代禹域出土的書法美術作品進行介紹,並引述書史、書論中的觀點。


緒言
凡例
卷上 自漢至北涼末

錫壺(圖版1)
永和六年甕
永壽二年二月甕
永壽二年三月甕(圖版2)
建寧四年甕
熹平元年甕(圖版3)
熹平四年甕
光和二年甕
初平四年甕
三字甕
般若部經(圖版4)
【書體辨】
古文(圖版5、6) 大篆 籀文(圖版7) 小篆(圖版8)
古隸(圖版9) 八分(圖版10、11、12)

譬喻經(圖版13)
戒本注(圖版14)
【草書論】

泰始三年甕
太康三年甕
宋 劉
寫經跋字(圖版15)
北涼 及其同時代
法華經方便品(圖版16)
佛說菩薩藏經第一(圖版17)
十住論後款(圖版18)
華嚴經第廿八(圖版19)
法靜題名
十地經論(圖版21)
問辨意長者經(圖版22)
戒律緣起(圖版23)
大智度論(圖版24)
法華經譬喻品
法華經分別功德品及常不輕菩薩品
法華經七寶塔品第十一(圖版25)
……
卷中 自南齊至隋末
卷下 唐及五代 附史料 本國其他
附一
附二
附三



中村 不折(なかむら ふせつ、慶応2年7月10日1866年8月19日) - 昭和18年(1943年6月6日)は明治、大正、昭和期に活躍した日本の洋画家書家である。正五位太平洋美術学校校長。夏目漱石吾輩は猫である』の挿絵画家として知られている。

経歴 [編集]

kanko-00.jpg

中村不折直筆折り帖を掲載します。
1982年ごろ、神保町の某書店で手に入れたものです。
中村不折は洋画家にして書家、自費で書道博物館を建てた人です。
不折は弟子をとらなかったのですが、調べたところ西村某という絵の押しかけ弟子がいたそうで、彼に請われて揮毫したものだとおもわれます。

【釈文】
感興
  1. 中村不折」的圖片搜尋結果

    -

【釈文】
盤石垂蘿只

不折の書

父・源蔵、母・りゅうの子供として東京の京橋に生まれ幼名を鈼太郎といった。一時は郷里の高遠に帰るも22歳の時に上京し、高橋是清の館に住み込みながら小山正太郎に師事し絵を学んだ。その後、30歳の時には正岡子規とともに新聞「日本」の記者として日清戦争に従軍し中国に渡り書に興味を持った。36歳の時には渡仏して、ラファエル・コランジャン=ポール・ローランスらから絵の指導を受け1905年の帰国後は明治美術会の後身である「太平洋画会」に所属し主に歴史画の分野で活躍した。また森鷗外夏目漱石等の作家とも親しく、『吾輩は猫である』『若菜集』『野菊の墓』などの挿絵や題字を書いた。

中国の書の収集家としても知られ顔真卿の現存する唯一の真蹟といわれる「自書告身帖」などを収集し、1936年台東区根岸の旧宅跡に書道博物館(現在は区立)を開館した。なお、不折の筆跡は現在でも、宮坂醸造清酒真澄」や新宿中村屋の商品表記に用いられている。

不折と歴史画 [編集]

仏留学から帰国した不折は東西の歴史を題材とする油絵を多く描いた。この時期の作品である「建国剏業」(1907年)は東京府主催の勧業博覧会に出品され第1等を獲得したが、天皇家の祖先神たる天照大神とそれを守護する7人の男神たちをすべて裸で描いたため、当時の文部大臣九鬼隆一は「不敬である」と激怒。なおこの作品は関東大震災で焼失してしまった。

関連書籍 [編集]

関連項目 [編集]

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