2011年1月19日 星期三

Nagayo Yoshirō 長与 善郎

周作人翻譯其亡姊1912/ 山上的觀音/ 西行法師 1921
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寫過魯迅回憶錄等
鲁迅-域外的接近与接受(木犁书系.鲁迅解读丛书): - Google 圖書結果
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"长与善郎与中国辽宁大学日本研究所刘立善在日本近现代文坛上,长与善郎(1888-1961)是一个深受中国文化影响的剧作家和小说家。他自幼年起,便在其父的训导下,开始学习《论语》等中国典籍,从而对中国文学和文化产生了浓厚的兴趣,由此打下了较为坚实的汉学基..."

長與 善郎(ながよ よしろう、1888年明治21年)8月6日 - 1961年昭和36年)10月29日)は日本作家劇作家評論家。人道主義的な作風で知られた。

医学者長與專齋の五男として東京に生まれる。長與家は、漢方医として代々肥前大村藩に仕えた家系である。長兄長與稱吉は医師で男爵。三兄長與又郎は病理学者で東京帝国大学総長、男爵。四兄岩永裕吉同盟通信社の初代社長。

1900年(明治33年)、東京麻布の南山小学校から学習院に転校。1911年(明治44年)、志賀直哉武者小路実篤らの同人誌『白樺』に参加。同年、東京帝国大学文学部英文科入学、1912年大正元年)に退学。

関東大震災で『白樺』が廃刊になった後は『不二』を主宰する。

1948年(昭和23年)、芸術院会員。1960年(昭和35年)、自伝小説『わが心の遍歴』で読売文学賞を受賞。

作品に『盲目の川』『項羽と劉邦』(白井鐵造作・演出の宝塚歌劇団初の一本立てミュージカル虞美人』の原作)『青銅の基督』『竹澤先生と云ふ人』など。『項羽と劉邦』には、親交のあった画家河野通勢が挿絵を描いた。

Nagayo Yoshirō (長与 善郎?, August 6, 1888 – October 29, 1961) was a novelist and playwright active during the Shōwa period in Japan.


1888_互动百科

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长与善郎(1888~1961)正文日本小说家。出生于东京的贵族家庭,父亲长与专斋是男爵。
1910年武者小路实笃等创办文艺刊物《白桦》后,引起他对文学的兴趣,于1912年从东京 ...



Nagayo Yoshirō (長与 善郎?, August 6, 1888 – October 29, 1961) was a novelist and playwright active during the Shōwa period in Japan.

[edit] Biography

Nagayo was born in Tokyo, as the 5th son of the famous doctor, Nagayo Sensai. He attended the Gakushūin Peers' School, and went on to graduate from Tokyo Imperial University. Through his school connections, he made the acquaintance of Mushanokoji Saneatsu and Shiga Naoya, and he contributed works to the Shirakaba ("White Birch") literary journal. He is considered a typical spokesman for the humanistic philosophy of the Shirakaba school.

Publication of Shirakaba was suspended in 1923 after the Great Kantō Earthquake, but Nagayo and Mushanokoji collaborated to bring out a new literary magazine, Fuji, the same year. As a literary critic for Fuji, Nagayo railed against the proletarian literature movement of the pre-war period.

His major works include the plays Kou to Ryuho (1916-1917), Indara no ko ("Child of Indra", 1921), and the historical novel Takezawa sensei to iu hito (1924-25).

He is best known in the West for his screenplay Seido no Kirisuto ("Christ in Bronze"), a story about religious persecution in Edo period Japan, which was one of the entries in competition at the 1956 Cannes Film Festival.

著書 [編集]

  • 盲目の川 洛陽堂 1914
  • 求むる心 洛陽堂 1916
  • 彼等の運命 洛陽堂 1916
  • 項羽と劉邦 新潮社 1917 初版復刻(ほるぷ出版)のち岩波文庫
  • 結婚の前 新潮社 1917
  • 生活の花 新潮社 1918
  • 陸奥直次郎 春陽堂 1918 のち岩波文庫
  • 明るい部屋 春陽堂 1919
  • 平野 文武堂書店 1919
  • 頼朝 新潮社 1920
  • 孔子の帰国 以文社 1920
  • 或る人々 春陽堂 1920
  • 画家とその弟子 叢文閣 1921
  • 因陀羅の子 叢文社 1921
  • 春乃訪問 芸術社 1921
  • 文明主義者 曠野社 1922
  • 二週間 金星堂 1922
  • 三戯曲 岩波書店 1922
  • 青銅の基督 改造社 1923 のち新潮文庫、岩波文庫
  • 余の宗教への前提 新しき村出版部 1924
  • 或る社会主義者 新しき村出版部 1924
  • 波 新しき村出版部 1924
  • 韓信の死 玄文社 1924
  • エピクロスの快楽 而立社 1924
  • 竹沢先生と云ふ人 岩波書店 1925 のち岩波文庫、新潮文庫
  • 豹 春秋社 1926
  • 緑と雨 日向新しき村出版部 1926
  • 生活と芸術 日向新しき村出版部 1926
  • 菜種圃 岩波書店 1926
  • 一人旅する者 武蔵野書院 1929
  • 輝く廃墟 新潮社 1931
  • 自然とともに 小山書店 1934
  • この男を見よ 三笠書房 1936
  • 満支このごろ 岡倉書房 1936
  • 大帝康煕 岩波新書 1938
  • 少年満洲読本 日本文化協会 1938
  • 日本文化の話 弘文堂 1939
  • 人世観想 小山書店 1939
  • 夕子の旅行記 建設社出版部 1939
  • 幽斎父子 人文書院 1940
  • 幽明 河出書房 1940
  • 満洲の見学 新潮社 1941
  • 乾隆御賦 錦城出版社 1942 
 乾隆と香妃、角川文庫 1956
  • 韓非子 日本評論社 1942
  • 世相と芸文 不二書房 1942
  • 東洋の道と美 聖紀書房 1943
  • 見つゝ思ふ 北方文化出版社 1943
  • 生活覚え書 道統社 1943
  • 多面の統一 錦城出版社 1943
  • 東洋芸術の諸相 矢貴書店 1944
  • 一夢想家の告白 朝日新聞社 1946
  • 銀河に対す 桃李書院 1947
  • クールベの娘 圭文社 1947
  • 野性の誘惑 光文社 1947 のち角川文庫
  • 布袋とヴヰーナス 桜井書店 1947
  • あたし 操書房 1948
  • ショーペンハウエルの散歩 雄文社 1948
  • 麒麟児 一灯書房 1949
  • 戸隠 東京出版 1949
  • 人間の探求 弘文堂 1950
  • 人間の教師たち 梧桐書院 1951
  • わが師わが友 筑摩書房 1951
  • その夜 朝日新聞社, 1948-1951
  • 最澄と空海 創文社 1953
  • 遅過ぎた日記 朝日新聞社 1954
  • 彼を見我を思う 筑摩書房 1954
  • 一つの今日 河出書房 1955
  • 切支丹屋敷 大日本雄弁会講談社 1956
  • 泡のたはごと ダヴィッド社 1957
  • わが心の遍歴 筑摩書房 1959、のち筑摩叢書

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