莊喆《主題‧原象---莊喆 畫展》
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莊喆老師見過數次面 沒上過他的課 沒跟他聊過 只看過他的畫......
還是可以稱他為老師
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我記得前幾月有記莊喆的blog 找不到
今晚在某 used books 買到歷史博物館 的 《主題‧原象---莊喆 畫展》* (2005)
末頁 學歷
第2行 1963-73 執教於東海大學建築系
(然後他出國榮歸台灣 兩次任教1年或一學期
都不是東海
這當然有公立大學的因素
不知道是否有其他"物非人非"之處??
"建築系的同學是多才多藝的,過去莊喆老師、
*
雪舟破墨山水図變奏11幅 頁40-50
雪舟(せっしゅう、応永27年(1420年) - 永正3年8月8日(諸説あり)(1506年))は、室町時代に活動した水墨画家・禅僧。「雪舟」は号で、諱(いみな)は「等楊」(とうよう)と称した。
備中に生まれ、京都相国寺で修行した後、大内氏の庇護のもと周防に移る。その後、遣明船に同乗して中国(明)に渡り、中国の画法を学んだ。
現存する作品の大部分は中国風の水墨山水画であるが、肖像画の作例もあり、花鳥画もよくしたと伝える。宋・元の古典や明代の浙派の画風を吸収しつつ、各地を旅して写生に努め、中国画の直模から脱した日本独自の水墨画風を確立。後の日本画壇へ与えた影響は大きい。
現存する作品のうち6点が国宝に 指定されており、日本の絵画史において別格の高い評価を受けているといえる。このため、花鳥図屏風など「伝雪舟筆」とされる作品は多く、真筆であるか否 か、専門家の間でも意見の分かれる作品も多い。代表作は、「四季山水図(山水長巻)」「秋冬山水図」「天橋立図」「破墨山水図」「慧可断臂図」など。弟子 に、秋月、宗淵、等春らがいる。
山水図(破墨山水図)(東京国立博物館、1495年(明応4年))
指定名称:紙本墨画山水図
雪舟等楊筆,雪舟自序・月翁周鏡等六僧賛
せっしゅうとうよう,せっしゅう・げっとうしゅうきょう
1幅
紙本墨画
148.6×32.7
室町時代・明応4年(1495)
東京国立博物館
A-282
また雪舟は自序の中で、かつて中国へ渡り、李在(りざい)と長有声(ちょうゆうせい)に画を学んだこと、日本では如拙(じょせつ)、周文(しゅうぶん)の画を受け継ぐことなどを述べ、宗淵のために画学の系譜を明らかにするとともに、自負のほどを語っている。
この山水図は、潑墨(はつぼく)という輪郭線を用いず墨をはね散らすような、粗放な画法によって描かれている。墨の濃淡を面的に用いているにもかかわら ず、確かな骨組みであり、雪舟固有の安定感と構築性を示す。自序に「破墨の法」とあることから、本図は古来「破墨山水図」の名で有名である。
現在我們可以在網路上觀賞莊喆老師的「雪舟破墨山水図變奏11幅」 (頁40-50)的原本:山水図(破墨山水図)(東京国立博物館、1495年(明応4年))
我查國內兩本美術辭典中的「破墨」的解釋之後,我相信這是必須向日本再次「請回來」學習的,不只是此圖,因為我們讀日本的雪舟專著,知道這是他76歲的作品,而他年紀稍小時,另有「仿玉澗 (牧溪)的破墨畫」。
莊老師的,不只是學習,他是進一步發揮。用他自己的話:
「……說明我的目的。……這幅的長與寬是直立的兩個正方體,所以用三竹寺分把山勢分成上中下。在三元空間表現距離正好又是遠、中、近三等分。山、樹、岩、岸、村舍、小舟就一次在這三等分中準確調配完成。簡與繁就這樣奇妙的融合在一起了。我想把這個解悟到的心得用不同的幅度來呈現。不同於原畫的水墨,我期望也把色彩的明暗度加進去,抽取出筆與染的純粹繪畫性,省略一切細節,既是「抽象」,又是「自然」。這完全也躲一再敗過去四十年想結合的,從古畫中看出現代,可能與可表現的究竟有多少?反覆推敲求證,在真實自然與已有的畫蹟中實際還埋藏無限生機。我相信這種雙限性的發展可以越過時空,無盡無限 !」 (莊喆《主題‧原象---莊喆 畫展》頁11)
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