鹽谷溫教授主持"國譯漢文大成"1920:川端康成是譯者之一:當時高中未畢業:1920年(大正9年)7月に第一高等学校を卒業し、9月に東京帝国大学文学部英文学科に入学[注釈 11]。
梁容若《書和人》(_台北:文星,1964)中有兩篇:
悼念鹽谷溫博士 189~193
鹽谷溫教授的生平和回憶195!207
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来歴[編集]
東京に漢学者塩谷青山の子として生まれる。塩谷宕陰は大伯父。号は節山。1902年東京帝国大学漢学科卒。1906年母校助教授となり、ドイツのライプツィヒ大学、ついで清国の北京および長沙にて研究、1912年帰国、1920年元曲に関する研究で文学博士号を授与され、同年教授、1939年定年退職、名誉教授となる。元の「全相平話」や明の白話小説集『古今小説』(「三言」の一書)を再発見するなど、支那近世の小説・戯曲の研究・紹介に多大な業績を残した。また『新字鑑』は標準的な漢語辞典として長く愛用された。
著書[編集]
- 『支那文学概論講話』大日本雄弁会, 1919
- 『朗吟詩選』弘道館 1930
- 『学生必吟』弘道館, 1933
- 『興国詩選 皇朝篇,漢土篇』弘道館, 1931-34
- 『元曲 漢文講座』, 1934
- 『王道は東より』弘道館, 1934
- 『詩経講話』弘道館 1935
- 『頼山陽と日本精神』日本精神叢書 文部省思想局 日本文化協会, 1936
- 『皇国漢文選 弘道館記述義・新論鈔』目黒書店, 1936
- 『皇国漢文選慎思録・言志四録鈔』目黒書店, 1936
- 『楠公と頼山陽』多田正知共著 蒼竜閣 1937
- 『孔子の人格と教訓』開隆堂, 1938
- 『漢詩と日本精神』日本精神叢書 教学局, 1938
- 『新字鑑』新字鑑刊行会, 1939
- 『作詩便覧』弘道館, 1940
- 『大東亞戰役詩史』弘道館圖書, 1944
- 『支那文学概論』弘道館 1946-47 のち講談社学術文庫
- 『天馬行空』日本加除出版, 1956
注釈・翻訳[編集]
- 左伝新鈔 弘道館, 1923
- 唐詩三百首新釈 弘道館(昭和漢文叢書), 1929
- 楚昭公 国訳元曲選 鄭廷玉 目黒書店, 1939
- 元曲選 目黒書店, 1940
- 西廂記 昌平堂, 1947
- 中国詩選 弘道館, 1948
回想記[編集]
生平[編輯]
鹽谷溫是東京漢學家鹽谷青山之子,伯父是鹽谷宕陰。鹽谷溫號節山,1902年畢業於東京帝國大學漢學系,1906年回母校任副教授,先後在德國萊比錫大學、清朝北京及長沙進行研究,1912年回國。1920年因對元曲的研究被授予文學博士學位,同年留校任教,並在1939年退休,成為名譽教授。他重新發現了元朝的《全相平話》和明朝的白話小說集《古今小說》(「三言」之一),對中國近世的小說、戲曲的研究和介紹作出了巨大的貢獻。另外,他編寫的《新字鑒》作為標準的漢語詞典,長期受到人們的喜愛。
鹽谷溫的女兒嫁給漢文學者辛島驍,兒子為辛島升。弟弟鹽谷良則入贅到山井家,他的兒子是東京大學名譽教授山井涌。
著作[編輯]
- 中國文學概論講話 大日本雄辯會1919年出版
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