2020年8月20日 星期四

塩谷温/しおのや おん,1878 - 1962)梁容若《悼念鹽谷溫博士》等




鹽谷溫教授主持"國譯漢文大成"1920:川端康成是譯者之一:當時高中未畢業:1920年(大正9年)7月に第一高等学校を卒業し、9月に東京帝国大学文学部英文学科に入学[注釈 11]。
























梁容若《書和人》(_台北:文星,1964)中有兩篇:

悼念鹽谷溫博士 189~193

鹽谷溫教授的生平和回憶195!207



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日本語
塩谷 温(しおのや おん、1878年7月6日 - 1962年6月3日)は、日本の漢学者東京帝国大学名誉教授。

来歴[編集]

東京に漢学者塩谷青山の子として生まれる。塩谷宕陰は大伯父。号は節山。1902年東京帝国大学漢学科卒。1906年母校助教授となり、ドイツのライプツィヒ大学、ついで国の北京および長沙にて研究、1912年帰国、1920年元曲に関する研究で文学博士号を授与され、同年教授、1939年定年退職、名誉教授となる。元の「全相平話」や明の白話小説集『古今小説』(「三言」の一書)を再発見するなど、支那近世の小説・戯曲の研究・紹介に多大な業績を残した。また『新字鑑』は標準的な漢語辞典として長く愛用された。
娘は漢文学者・辛島驍に嫁ぎ、辛島昇を儲けた。また弟良は山井家に婿入りし、その子は東京大学名誉教授山井湧である。

著書[編集]

  • 『支那文学概論講話』大日本雄弁会, 1919
  • 『朗吟詩選』弘道館 1930
  • 『学生必吟』弘道館, 1933
  • 『興国詩選 皇朝篇,漢土篇』弘道館, 1931-34
  • 『元曲 漢文講座』, 1934
  • 『王道は東より』弘道館, 1934
  • 『詩経講話』弘道館 1935
  • 頼山陽と日本精神』日本精神叢書 文部省思想局 日本文化協会, 1936
  • 『皇国漢文選 弘道館記述義・新論鈔』目黒書店, 1936
  • 『皇国漢文選慎思録・言志四録鈔』目黒書店, 1936
  • 『楠公と頼山陽』多田正知共著 蒼竜閣 1937
  • 孔子の人格と教訓』開隆堂, 1938
  • 『漢詩と日本精神』日本精神叢書 教学局, 1938
  • 『新字鑑』新字鑑刊行会, 1939
  • 『作詩便覧』弘道館, 1940
  • 『大東亞戰役詩史』弘道館圖書, 1944
  • 『支那文学概論』弘道館 1946-47 のち講談社学術文庫
  • 『天馬行空』日本加除出版, 1956

注釈・翻訳[編集]

  • 左伝新鈔 弘道館, 1923
  • 唐詩三百首新釈 弘道館(昭和漢文叢書), 1929
  • 楚昭公 国訳元曲選 鄭廷玉 目黒書店, 1939
  • 元曲選 目黒書店, 1940
  • 西廂記 昌平堂, 1947
  • 中国詩選 弘道館, 1948

回想記[編集]


鹽谷溫(日語:塩谷温しおのや おん,1878年7月6日 - 1962年6月3日)是日本的漢學家東京帝國大學名譽教授。

生平[編輯]

鹽谷溫是東京漢學家鹽谷青山之子,伯父是鹽谷宕陰。鹽谷溫號節山,1902年畢業於東京帝國大學漢學系,1906年回母校任副教授,先後在德國萊比錫大學、清朝北京及長沙進行研究,1912年回國。1920年因對元曲的研究被授予文學博士學位,同年留校任教,並在1939年退休,成為名譽教授。他重新發現了元朝的《全相平話》和明朝的白話小說集《古今小說》(「三言」之一),對中國近世的小說、戲曲的研究和介紹作出了巨大的貢獻。另外,他編寫的《新字鑒》作為標準的漢語詞典,長期受到人們的喜愛。
鹽谷溫的女兒嫁給漢文學者辛島驍,兒子為辛島升。弟弟鹽谷良則入贅到山井家,他的兒子是東京大學名譽教授山井涌。

著作[編輯]

  • 中國文學概論講話 大日本雄辯會1919年出版

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