魏晉南北朝
作者: [日] 森鹿三
出版社: 後浪丨四川人民出版社
出品方: 後浪
原作名: 中國文明の歴史4:分裂の時代 魏晉南北朝
譯者: 陳健成
出版年: 2020-7
頁數: 340
定價: CNY48.0
裝幀: 平裝
叢書: 中國文明的歷史
ISBN: 9787220118746
內容簡介 · · · · · ·
從漢滅亡進入三國時代,到西晉的短暫統一,再到東晉十六國乃至南北朝對立,中國又進入了分裂與混戰的時代,政治上雖四分五裂但卻是豪雄輩出 。本書從豐富的史料中選取了大量生動有趣的故事,將當時的眾多人物和社會實態生動地展現在讀者面前,論證了這一分裂時代在中國史乃至東亞史上佔據的重要地位。
颜之推全集译注 / [颜之推著] ; 张霭堂译注,齊魯,2004
《顏氏家訓》
觀我生賦
還冤記
金玄
諸葛元崇
夏侯玄
於吉
彭生
公孫胜
張祚與張瓘
麴儉
太樂伎
鄧琬
刁玄亮
經曠
萬默
殷涓
苻永固
李期
張超
張稗
呂慶祖
牛牧寺僧
蘇娥
涪令妻
鐵臼
王凌
支法存
曇摩懺
王濟左右
遊殷
孫元弼
郗鑒
簡良
孫基
陶公
詩歌
輯佚
後記
顏氏家訓- 维基文库,自由的图书馆
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2020/01/08 - 《顏氏家訓》二卷,〈江西巡撫採進本。〉舊本題北齊黃門侍郞顏之推撰。考陸法言《切韻序》,作於隋仁壽中,所列同定八人,之推與焉。則實終於隋。舊本所題,蓋據作書之時也。陳振孫《書錄解題》云:「古今家訓,以此爲 ...
《顏氏家訓》全書七卷二十篇,即《序致》、《教子》、《兄弟》、《後娶》、《治家》、《風操》、《慕賢》、《勉學》、《文章》、《名實》、《涉務》、《省事》、《止足》、《誡兵》、《養生》、《歸心》、《書證》、《音辭》、《雜藝》、《終制》,以傳統儒家思想為中心,也注重實學、工農商賈等技能,教育顏氏後輩關於修身、治家、處世、為學等學問,「又兼論字畫音訓,並考定典故,品弟文藝」[1]。其中《歸心》篇宣傳佛教思想,《書證》、《音辭》兩篇討論古書訓詁音韻,《文章》篇討論文學,《誡兵》討論軍事。顏之推自稱:「吾所以復為此者,非敢軌物範世也,業以整齊門內,提撕子孫。」
《顏氏家訓》裡面提到一個故事,齊朝有一士大夫,嘗謂吾曰:「我有一兒,年已十七,頗曉書疏,教其鮮卑語及彈琵琶,稍欲通解,以此伏事公卿,無不寵愛,亦要事也。」顏本人認為「異哉,此人之教子也!若由此業,自致卿相,亦不願汝曹為之。」顧炎武稱讚他說:「嗟夫,之推不得已而仕於亂世,猶為此言,彼閹然媚於世者,能無愧哉!」[2]。王鉞曰:「北齊黃門顏之推《家訓》二十篇,篇篇藥石,言言龜鑑,凡為人子弟者,可置一冊,奉為明訓,不獨顏氏。」
注釋[編輯]
參考文獻[編輯]
- 陳東霞:〈從《顏氏家訓》看顏之推的思想矛盾〉,1999
外部連結[編輯]
概要[編集]
正確な成立年は明らかでないが、雑芸篇に「今雖混一」とあるので陳の滅亡した589年以降の作である。同篇に「吾已六十余」とあるのもそれを裏付ける。『北斉書』文苑伝には顔之推について「開皇(581年 - 600年)中、太子(楊勇)の学士になったが、ほどなくして病死した」とあることから、顔之推の没年は600年以前と考えられ、『顔氏家訓』は590年代の作ということになる。
顔之推は南朝梁に生まれ、江陵で蕭繹のために働いていたが、侯景の乱で捕えられ、その後西魏が江陵に侵入したときに再び拉致された後、弘農に移った。その後北斉へ脱走した。北斉が北周に滅ぼされて以降は北周・隋に仕えた。
顔之推は『顔氏家訓』の中で、中国伝統の家族道徳を重視し、教養・学問・思想・信仰から、生活態度・言語諸芸から、処世法や交際術にまで及ぶ、自らの具体的な体験談や事例を挙げ、事細かく教えている。彼の理想は、質実剛健な家庭に見られる、調和と保守を重視した時勢の影響を受けない生活態度である。その背景にあるのは、彼自身のめまぐるしく境遇が変化した一生であろうし、なおかつ、それが一般的な中国の人士の生活態度の伝統にも通じていたことで、後世まで長く重視され、「家訓」といえば、本書を指すようになった要因でもあろう。
構成[編集]
- 序致篇
- 教子篇
- 兄弟篇
- 後娶篇
- 治家篇
- 風操篇
- 慕賢篇
- 勉学篇
- 文章篇
- 名実篇
- 渉務篇
- 省事篇
- 止足篇
- 誡兵篇
- 養生篇
- 帰心篇
- 書証篇
- 音辞篇
- 雑芸篇
- 終制篇
また、本書の中では、華美に流れた江南の貴族社会を、質実な気風のあった北朝の士人の社会と比較しながら批判的に見ている。解体期にあった六朝貴族社会の政治、経済、社会を南朝・北朝の貴族の生活を通じて知ることができる重要な資料である。
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