No Passion Spent:Essays 1978-1995
叢書・ウニベルシタス
言葉への情熱
原書名:NO PASSION SPENT:Essays 1978‐1995(Steiner,George)
本物の教養のすごみ 知の巨人の最新評論
ジョージ・スタイナーの評論を読むと、文章を書くのが恥ずかしくなる。本物の教養に裏打ちされた文章とはこういうものかと思い知らされるからだ。
なにしろこの人、国籍はアメリカだが、もともとオーストリア系ユダヤ人の子としてパリに生まれ、家庭では英独仏語が飛び交っていたというし、幼児期から父 親にギリシャ語でホメロスを読み聞かされ、少年時代からシェイクスピアに読みふけったという天才児。一九四〇年にゲシュタポの手を逃れてアメリカに脱出 し、戦後もアメリカとヨーロッパを股(また)にかけて活躍してきた文字通り国際的な知識人であるが、七十歳を超えたいまも健筆をふるっている。
この最新の評論集には二十一篇(ぺん)の講演・評論・書評が集められているが、その話の及ぶ範囲がすごい。実にコクのある読書論に翻訳論、辛口のアメリカ 文化批判、旧約聖書にホメロス、シェイクスピア、フッサール、カフカ、キルケゴール、ハイデガー、ウィトゲンシュタイン、ナボコフにマンデリシュターム、 極め付きの古典から現代までの文学・哲学・科学・芸術と、まさしく脱領域の知の饗宴(きょうえん)だ。
どれをとっても、そこにこめられた豊かな学殖に酔わされ受け売りをしたくなるが、身近なところで「夢」を論じた講演を見てみよう。
動物の見る夢の話にはじまって、人間の眠り方の歴史、夢の歴史に話は移っていく。そして、古代地中海世界では未来を予知する機能を認められていた夢が、い つの間にか過去の記憶を糧(かて)とするものとされるようになった、その逆転の起こった時点が確かめられる。その間に、『イリアス』に描かれたアガメムノ ンの夢、有名なデカルトの夢、そして世紀末ウィーンでフロイトの収集した夢が検討され、精神分析学は夢の意味を固定化し、貧しくしたのではないかという疑 問が出される。なんともしゃれた講演だ。
「教養」不在の近ごろ、久しぶりに知の巨人のすごさを堪能したが、これだけの名著、もっと読みやすい翻訳を心がけるべきだろう。
評者・木田元(哲学者)
(伊藤誓訳、法政大学出版局・579ページ・6,700円)
ERRATA
An Examined Life.
By George Steiner.
206 pp. New Haven:
Yale University Press. $25.
英國版1997年出版
April 12, 1998
Idea Man
George Steiner, polymath, has written an intellectual autobiography.
Read the First Chapter
By ANTHONY GOTTLIEB
紐約時報書評一針見血指出作者許多科學用語多為濫用G Steiner, Errata: An Examined Life (London, Faber, 1997)日文版幾乎同步
· ジョージ・スタイナー, "G. スタイナー自伝", 工藤政司 訳, みすず書房, 1998., ISBN4-622-03085-3 C1010 \3000E
書名:勘誤表-審視後的生命
作者:喬治‧史坦納
譯者:李根芳
台北:行人 出版 2007 / 08
這本書的譯注還是缺近百來個待補
有的多注言不及義 譬如說 G. Orwell 關於英文語文的著作 才是作者要談的
我還懷疑她對某詩人(策蘭.....)名字翻譯多名稱
出版社沒搞"索引" 就無法幫助讀者很快了解作者對自己著作--他的書日本翻譯得相當多--的摘述等
本書作者一重要字眼 presence ---它在第一章中是如何處理
{presence:臨在;鑒臨;親在:指兩存有物某種程度的互相滲透。造物主天主臨在於宇宙,尤其與我們人類同在,包括基督親臨信徒中,尤指基督親在聖體聖事中。presence at Mass:參與彌撒;與祭。presence of God:天主的鑒臨;天主的臨在:無所不在的天主,此時此刻就在我們面前,善人的靈魂是天主的聖殿。}
:At that hour, in the days following, the totalities of personal experience, of human contacts, of landscape around me became a mosaic, each fragment at once luminous and resistant in its "quiddity" (the Scholastic term for integral presence revived by Gerard Manley Hopkins). 翻譯為.......每個碎片的"本質" "quiddity" (....指完整呈現的詞語........).
If the revelation of incommensurable "singleness" held me spellbound, it also generated fear. I would come back to the mise en abyme of one blazon within another, to that "setting in the abyss." I would consider a fathomless depth of differentiation, of non-identity, always incipient with the eventuality of chaos. How could the senses, how could the brain impose order and coherence on the kaleidoscope, on the perpetuum mobile of swarming existence?
mise‐en‐abyme
譬如說 上圖為 『Le récit spéculaire: essai sur la mise en abyme』的英訳本。就是這方面的專書--讀者可看畫中有畫 (16世紀のクエンティン・マサイスという画家の作品に描かれた凸型の鏡について。)
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