《竹久夢二:畫與詩》陳子善編,林少華譯
簡體版由山東畫爆出版社,2011,28元人民幣
繁體版:香港:三聯,約98元港幣 (約三倍價,印刷精美多多)
竹久夢二(1884年9月16日-1934年9月1日)是日本畫家、詩人
"一九二三年發生關東大地震,人們的感性為之一變。大正結束前一年(一九二五),夢二和小說家山田順子鬧出醜聞,媒體無仁義可言,當即把他變成八卦人物,人氣急轉直下,甚至招「新人類」討厭,川端康成在伊香保溫泉便遇見他一副衰相。"
一九八五年《初版本複刻竹久夢二全集》付梓,八七年《夢二日記》、九一年《夢二書簡》相繼上市。劉檸「二十多年前,人在東京」,趕上這一波夢二熱。這本《竹久夢二的世界》出版於二0一0年,好像把中國也弄得發熱了。~李長聲
大眾文化形成的條件之一是媒體發達。當時雜誌是主要媒體。一八七二年日本人口為三千四百八十萬,一九二0年增加到五千五百九十六萬。明治末葉,雜誌印數劇增,大正年間已經有多種雜誌印數超過十萬冊。喜歡畫是一種風潮,談畫有如後來談電影,被稱作美術趣味。內田魯庵曾寫到,「談不來美展的人就像是遠離東京的鄉巴佬。」川端康成年少時也想當畫家。這正是夢二流行的社會背景。夢二最初給《中學世界》雜誌畫插圖,有道是,受眾已備,夢二式應時而生。
對逝去之物的眷戀也使夢二的畫筆飽蘸了悲情愁緒。他表現的是當時人們日常所感受的細微情緒,用今日的網語來說:你懂的。當年夢二的粉絲主要是少女,而今多是大叔。他們賞玩夢二的形態之美基本是懷舊。夢二積極吸取西方新感覺、新手法,同時也熱愛日本古來的風俗,現今被當作文化符號,代表了日本情趣。或許可以說,夢二是當今走向世界的「卡娃伊」文化的源頭。
竹久夢二的世界
作者: 劉檸 2010/2012
"大正文化--帝國日本的烏托邦時代",p.109
詩〈浮世絵〉:鈴木春信
兩少女讀中納言朝忠的和歌 鈴木春信
「中納言朝忠(文読み)」
玄宗皇帝楊貴妃図
http://www.moaart.or.jp/?collections=071
隅田河畔春遊図
Meiwa era (1764–72)
Suzuki Harunobu, 鈴木春信(1724-1770)
すずき はるのぶ
鈴木 春信とは、江戸時代中期の浮世絵師。細身で可憐、繊細な表情の美人画で人気を博し、今日浮世絵というとまず思い浮かべる木版多色摺りの錦絵誕生に決定的な役割を果たし、後の浮世絵の発展に多大な影響を及ぼした。 ウィキペディア
『夢二外遊記』:「榛名山美術学校」
群馬県にある榛名湖の湖畔に設立しようとした施設である
竹久夢二『榛名山賦』。榛名富士と春の女神佐保姫が描かれ、右上には「久方の光たたえて匂ふなり榛名の湖に春たちにけり」と詠まれている。
竹久夢二『榛名の雪』
伊香保温泉には1981年(昭和56年)竹久夢二伊香保記念館が開設された。榛名湖では1989年に整備された「湖畔の宿記念公園」(湖畔の宿参照)のなかに、夢二のアトリエを再現した展示を行っている[2]。
竹久夢二『立田姫』。秋の女神立田姫を描いたこの作品は、春の女神を描いた『榛名山賦』と対になる作品といわれ、夢二は手放そうとせず、榛名山美術研究所完成の暁にはそこに飾りたいと言った作品。
沒有留言:
張貼留言