2011年4月28日 星期四

陳德文譯幸田露伴 (Koda Rohan) 書齋閒話 hc 努力論

日本語
日語原文 幸田露伴
假名 こうだ ろはん
罗马字 Koda Rohan

作品

[编辑] 小説

  • 風流仏(1889年、吉岡書籍店)
  • 露団団(1890年、金港堂)
  • 五重塔(1892年、嵩山堂『小説 尾花集』収録)
  • 連環記
  • 雪たたき
  • 新羽衣物語(1897年8月、村井商会)
  • 天うつ浪(1906年1月 - 07年1月、春陽堂)

[编辑] 史傳

  • 運命
  • 頼朝
  • 蒲生氏郷
  • 平将門

[编辑] 随筆與評論

  • 潮待ち草(1906年、東亜堂)
  • 蝸牛庵夜譚(1907年11月、春陽堂)
  • 小品十種(1908年6月、成功雑誌社)
  • 普通文章論(1980年10月、博文館)

[编辑] 俳諧

  • 冬の日記抄(1924年9月、岩波書店)
  • 春の日・曠野抄(1927年6月、岩波書店)
  • ひさご・猿蓑抄(1929年12月、岩波書店)
  • 炭俵・続猿蓑抄(1930年1月、岩波書店)

[编辑] 日記

  • 枕頭山水(1893年9月、博文館)
  • 蝸牛庵日記(1949年8月、中央公論社)


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嬲(ㄋㄧㄠˇ)
hc: 嬲(ㄋㄧㄠˇ) --幸田露伴 說出自佛典
幸田露伴
著《書齋閒話》32開.平裝.簡體橫排..北京中華書局. 2008第9頁

Ken Su 解答.......:
說是「出自佛經」,不是很切確(東漢《說文》已收此字,
佛經的翻譯年代在說文之後五十年,才開始草創。),應該說佛經有用過此字。
又,小時聽哥哥解說過,『嬲』字,一女挑二男,這是(淫ㄏㄧㄠˊ, hiau5),『嫐』字,一男弄二女,這是(ㄑ一ㄜ, tshio1)。

這種類似王安石的「自由聯想」解字法,不足深論,一笑置之,可也。


參考 幸田露伴 p.117 之討論
幸田露伴(1867~1947)是日本著名的汉学大家,本书是他的一些随笔,主要介绍有关中国的一些历史人物、器物、古代文学作品的考证和随想。


(日本)幸田露伴著、陳德文譯; 出版社: 百花文藝出版社; 2003/199

 內容簡介  

某一德高老僧日:勿以為參寺之姣好少女比參寺之尋常少女殊勝,藝人、藝妓、流氓、泥水商等輩,手執線香者出奇得多。
一個沒有孩子也沒有可依靠的親戚,一直被人所役使而度過漫長日月’的女子對我說:我在有很多人出入的家庭度過很長日子,見慣了各色人等的變化過程。如今每 當看到青年男女便在心中暗自思忖,此人行末是好是壞?你究竟在想什麼?那個叫做松山的青年出出進進,每一次把別人的木屐踢散踢翻,真是個胡作非為的人。但 有時囊中有點錢,就立即穿上光彩照人的衣服,耀武揚威一番。這種人若是冒富,就會將妻子棄置家中,自己到外邊去過尋花問柳的日子。若是受窮,就會數度去舊 妻迎新妻,賣舊友求新友。還有梅山這個人,他總是親自提著木屐放置於脫靴場的一邊,不讓別人踩著。他穿的衣服隨隨便便,從不講究。這種人既不會立身顯要, 也不至於落魄潦倒,淚灑襟衲。雖說有點吝嗇,但也不是不講義理人情。還有一個姓櫻山的人,將一雙係著花裏胡哨帶子的木屐換成了廉價的,替換著穿,而這木屐 嶄新的時候,總是脫下來擺得整整齊齊。等到稍微有點舊,就隨地亂脫亂放了。此人心中雖無毒,但卻是個世上閒漢。作這號人的妻子實在太可悲了。但此人也有可 取之處,就是不大認輸,只要不受惡人調唆,行末會逐漸變好。你瞧栗山這個人,他有沒有用自己的錢買過東西?他總穿著舊木屐。世諺上說:迎著潮頭上,身子任 漂浮。尿壺的鼻兒是自己搓成的線捻兒,稚拙可笑。橫樑鼻兒斷了,就用小石子充填,僅保持著原樣,愈顯稚拙可笑。看他穿的木屐,也時時有失笑的事,但他卻購 買了許多書籍。不僅如此,他言語雖少而不驕人,起居似田舍郎,但經常費斟酌。此人必能成業成名,富而不忘過去。你以為如何?這些都是我以所穿之物觀人,事 甚粗鄙,但要比占卜靈驗得多。——她自豪地說。
一女子日,過去的女人,欲顯示脖頸之美,而盡拔髮際之毛。今之女子欲顯示前額之美,細心描畫,而不用心於頸項,即用心於人皆可見之處,而遺忘不易見之處。世界前進了,但猴子一般的人也越來越多了。
一位出身微賤、心地堅強的女子說:乘火車時,人多找不到位子,女人尤難。過去,女人看到無伴的青年男子,聊作微笑,並帶著痛苦的面色接近他,那男子一般都 會讓給你座位。如今,我穿著寒磣,蓬頭垢面,自覺卑淺,這時,即使有人給我讓座,我也裝作不知道。由此我感到,要度過艱難時世,一個無所仗恃的女子,應當 如何注意容貌、講究衣飾啊!尤其隨著年齡漸老,易於忽略待人接  本書目錄  

蝸牛庵雜筆
喜歡的事
一日無事
夫婦茶碗的本家
花兒種種
火桶
二人地爐
古之淺草
被世人遺忘的草木
雲的種種
人言
指甲
花鳥
栗子之喻
寄語微笑
樂地
苦境

勿急
人之姿
樹之相
偽北齋
名畫畫中有詩
語言
羞恥
女人的信
蛇與女人
點心
十千
道路
正直
命運
讀書的態度
……
譯後記



三つの『福』をご存知ですか? (僕は知りませんでした)
惜福:福を惜しむ、すなわち、幸せを無駄遣いしないようにする。
分福:幸せを分け与えること。自分ひとりの幸せなんてありえない。     楽しいことがあったら、その楽しみを人と話したくなるものです。
そして、一番なるほど!と思ったのは、 植福:幸せの種をまくこと。幸せの種まきをしないと、幸せはこない。
お金は使わないと入ってこないのと同じで、幸せを噛み締め(惜福)、幸せを分かち合い(分福)、そして幸せの種を撒いて(植福)初めて幸せは永続的なものとなる。
今の幸せは過去の植福の結果。 将来の幸せは、今の植福の先にある。
もっと言えば、今私たちがここにあるのは、祖先の植福の果実ということ。
努力論(どりょくろん)
―幸田露伴の説く幸福論― 幸田露伴(こうだろはん)(1867~1947)著。大正2年(1913)刊。 冒頭において、努力には「直接の努力」と「間接の努力」の二種類あることを説いている。直接の努力とは当面の努力のことであり、その時その時を力を尽くして精いっぱい頑張ること。間接の努力とは準備する努力であり、基礎・源泉の努力のことをいう。 また、本書の中で特筆すべきは幸福三説の思想である。すなわち、人生において幸福になるには「惜福」「分福」「植福」の3つを実践すればよいと説いている。 「惜福」とは福を惜しむこと。福を使い果たしてしまわないことをいう。
「分福」とは自分の得た福を他人に分け与えること。
「植福」とは福を植えること。植えられた福は徐々に成長して社会の発展に貢献することとなる。 この幸福三説こそ、本書の中でもっとも重要な思想であると言えよう。 惜福とは何様(どう)いうのかというと、福を使い尽くし取り尽くしてしまわぬをいうのである。たとえば掌中に百金を有するとして、これを浪費に使い尽くして半文銭もなきに至るがごときは、惜福の工夫のないのである。
分福とは何様(どう)いうことであるかというに、自己の得るところの福を他人に分ち与うるをいうのである。たとえば自己が大なる西瓜(すいか)を得たとすると、その全顆(ぜんか)を飽食し尽すことをせずしてその幾分を残し留むるのは惜福である。その幾分を他人に分ち与えて自己と共にその美を味わうの幸(さいわい)を得せしむるのは分福である。
植福とは何であるかというに、我が力や情や智を以て、人世に吉慶幸福となるべき物質や情趣や智識を寄与する事をいうのである。即ち人世の慶福を増進長育するところの行為を植福というのである。
書齋閒話 [日]幸田露伴 [日]幸田露伴 2008.06 中華書局  出版日期: 2008.06幸田露伴是日本著名的漢學大家,原名成行,別號蝸牛庵。他從小受到中日古典文學的熏陶,學識淵博,文學造詣頗深,與尾崎紅葉、坪內逍遙、森鷗外等人齊名。 在創作方法上,幸田受井原西鶴的影響較大。作品主題多為歌頌藝術的強韌生命力,以及藝術創造者的頑強意志。 本書是幸田露伴分散于各個時期的一些隨筆,內容主要分為三大類︰一是論學;二是同中國有關係;三是有他獨特的感想和見解。大致介紹有關中國的一些歷史人 物、器物、古代文學作品的考証和隨想。


目錄
瑣言
夏夜問答
字義數則
李昌谷的詩
《西遊記》的作者
甘甜古今
論簡素治新
釣車考
漱玉記
大葉子
說羊

老皮囊
顧炎武
袁了凡
快川和尚和杜苟鶴
《料理物語》和《草木子》
《今昔物語》和《劍南詩稿》
張良和蔡邕
古書新法
帶妻宿外家
少言老評


蝸牛庵聯話
月、霜
青瓷、白瓷、音樂
琵琶、箜篌、纈



苜蓿

骨董
讀史后語
張俊供進御筵食單
芭蕉和黃山谷
話苑
讀史后語
蘇東坡和海南島
楊貴妃和香
書齋閒話
修文談
《仁山智水帖》序
露伴談片
我執筆的時間和場所
日本百科大詞典解題
《西廂記》
《琵琶記》
《桃花扇傳奇》
《長生殿傳奇》
《聊齋志異》
《十二樓》
《紅雪樓九種曲》
《彈詞》
《中國的俳優》
夏日的讀物
處女的自豪
表現于容貌上的心靈美
歌的作詞與作曲
命運的鑰匙
文藝作品中的馬
民謠裡的歌
旅行家
傳說的真相
《紅樓夢》解題
《水滸傳》雜話
新福祉觀
日本的文學和復仇譚
福祉樹和不幸樹
無難
書齋閒話
邦人豈能不解中國詩味
《漢文叢書》序
春日抄
字眼兒
譯后記

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